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これまでのブログを少し整理していこうと思います。
思い起こせば自分がケンタク入会したのが20年5月。
(岡山での知り合いが一人もいない自分がこの交流会によくぞ飛び込めれたもんだ。と今更ながら思う)
その当時、何人かのメンバーで盛んだったのがケンタクブログでした。
執筆、投稿の勧めが自分へも声がかかり、つい軽い気持ちでお付き合い程度に始めてみたのが、「流離サラリーマンブログ」です。
自己紹介を兼ねた過去のことや旅の報告、時世への関心事、、、
多くのネタに対し感じたこと考えてることを文字で表し、
それを皆さんへ発信することの難しさと楽しさがわかり、まあ何より貴重な体験です。
そんで、勢いで調子に乗って次々と。
投稿数は25本くらいか、さすがに読むに耐えられんひどい駄作もあって、
これから以後、徐々に削除していくかと思います。
さしあたり今までの投稿文をリスト化、それぞれをリンク設定で簡単にジャンプできるように整理しましたので、
下記リストの題名で気になったもの、そこをプチっと押してみてください。
なお、私事となりますが、小職はこの3月中旬に岡山を離れ地元の愛知へ帰ります。
これが今生の別れとは思ってませんが、ひとつの節目としてご挨拶を。
楽しい時間を皆さんと共有でき、本当にありがとうございました。
またお会いしましょうね。
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【おすすめ作(好評を頂いたもの)】
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帰省してきました(後編)|流離サラリーマンブログ (blog-rpg.com)
20年8月
今回もお花のトピックで・・|流離サラリーマンブログ (blog-rpg.com)
22年5月
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こんにちわ。
今年も MY 胡蝶蘭が綺麗に咲いてくれました。
日々の成長を確かめる楽しさ、よろこびは園芸を趣味のひとつとする自分の心の励みになるもんです。
ちなみに、知る人ぞ知るの話になりますが、この胡蝶蘭育ての由来は健卓にありまして、
過去を振り返りながら私の子育て日記。もとい、花育て記録。を、いつもの(?)ウンチクを少しまじえての紹介をします。
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【序章】
なんとオリジナルのお花は、元々この写真のものなんですよ。
そう。目にも鮮やかで青くて中々お目にかかれないお花でした。
これ。2020年11月17日に健康卓球交流会の設立5周年(?でしたかね)と、会館の新設立オープンお祝いをかねて、
お名前を出すの、ここでは控えときますが、求心力を感じさせるメンバーのお一人。
あのK澤様から健卓交流会へご贈呈された賜物でした。(ほとんど正体バラしてるかな、スマヌ。笑)
写真の通り、合計で3体を寄せ植えされて、それはそれは豪華な美観。誰しもが圧倒されてたのを記憶してます。
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補; あれっ?元々の花は青かったの?じゃあ何故に冒頭のは白いお花で? と写真見て不思議に思った方もおりますでしょうが、、、
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(それは後ほど解説しますよ、プチ感動ですぜ)
>>
【2020年12月~の巻】
その青いお花、会館で数週間か飾られたのち、以後のメンテナンスを続けるために、
小生含む、有志3名が1体ずつを引き取り、各自でめいめいに世話することにしたのです。
(じゃあ、あとの二人は誰なのよん?などの詮索せんでね・・・)
が、しかし。
自分はそん時のノリというかその場の勢いでお世話を請け負ってしまったけど、実際どうしたもんかと考えながら、
まずはお得意の勉強(ネット検索ね)して、
水やりとか温度、陽当たりなど栽培に適正な環境を確認しながら始めてみました。
持ち込んだのは仕事場です、私の背中にあるキャビネットの上。ここが明るくて室温一定で最適と判断しました。
部屋全体が白色で統一されとるから、青色がいっそう鮮やかに映えてます。
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4月を過ぎて順に花が落ち、色も薄くなり。
少しでも長く楽しみたいため切り花にして飾りました(4月27日)。これまた風情あり、とってもオシャレでしょ。
ところでしかし。。11月に開花してたのが、年を越して4月になっても咲き続けてるって驚異的な長寿と思うが・・・。どうよ?
【さて、お勉強】
一般的な胡蝶蘭の生育方法を調べながら、実は青色のお花はとても稀有な貴重な逸品だということがわかりました。
作られ方は2種類に分けられておって、以下。
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1.品種改良によるもの
なんと世界でただひとつの種しか存在せず。2012年に千葉大学の園芸研究室が長年の研究開発により青色花の品種作りに成功。
もちろん門外不出とされ、花の世界展のようなイベント展示でしか一般人が観る機会なく。
が、2022年に市販を開始することになった(ライセンス取得かな)、みたいな記事もあって、しばし今後の動向をウォッチングです。
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2.特殊な染料と技術による栽培のもの
注射針で青の染料をオリジナル原種の蘭(白色)の栽培時に施す。いま市販されてるのは全てこれ。
(もちろんK澤さんが購入、贈呈くださったのも、この部類です。)
この染料の材質と注入技術がかなり特殊で、そのノウハウも特許化されており、世界でたった4カ国でしか作るのを法的に許されてません。
(日本、アメリカ、オランダ、ブラジル)
なおかつ、日本でその栽培認可を持ってる農園は唯一、愛知県豊橋市の松浦園芸 のみと。
ひえ~!
ええ~~~? ウソじゃろ~(と、少し岡山調で言ってみた・・)
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そんなに稀有な貴重なものだったのね!おまけに産地は僕の地元の豊橋だぞ という2つの驚き。すごいなあ。
その松浦園芸は事前に電話予約すれば園内の入室&見学OKとあり、豊橋帰省の際に行くつもりでした。
でも、実は。。。
今日、この文章を書きながら、1年以上もこのことすっかり忘れとったの気づき(先週まで10日間を在豊橋だったのに・・・おバカもんよね。ああ、しかし残念だわ。むしろ気づかない方が幸せだったかな)
次回の帰省時にはしっかり見学してこようと思います。
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と、まあウンチク話はこのへんで。
あっ悪徳?に、花が咲いてから着色をして(スプレーでも吹くのかや)、それを売ってる輩もなかには居るそうな。違法ではないっぽいけど。花屋さんで今度見かけたら確認してみよう。
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>> さて話を戻し、以下つらつらと。
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【栽培、観察記録】
その後、21年4月末に花は完全に落ち、茎の節のところをカットし新芽を待ちます。
5月20日、芽が出て伸びてきましたよ。茎の切り口も少し青いんですね。
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10日後、6月1日はこんなに。(何やら先端に蕾っぽいのも。成長が早い!)
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7月1日、一つ目が開花しました。勉強の成果で咲く花の色は白だとわかってました。
(染料が多少は残留しており、薄い水色だったらええなあ、とほのかな期待もあったけど、、)
その後、7月中旬に会館に移動(里帰り?)し、休憩室に置いて皆さんにも観てもらいましたよ。
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そしてお花は3か月弱で終了。9月25日、先回同様に茎の途中の節のところをカット。
(次も来てくれるだろうか。。頼む、お願い!)
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二か月後(12月9日)、カット部に新芽がぷくっと膨らみ始めたのと同時に、なんと新たな茎の本体が根本から生えてきてます。( ↓ 真ん中の新緑、分かりますか?)
二兎を追うものは一兎も得ず、の世界であろうから、新芽か新茎どちらかの選択を。
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迷わず、これまでの本体(写真の左の太いやつ)を根本でスパっと切り落とし、
新しい茎の成長を見守ってくことにしました。
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それから3か月経ち。3月20日時点、元気にすくすく伸びてます。
ポツポツと蕾も形成され始めて。これならOKだ!(ふ~うっと、ひと安心)
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4月22日の夜、一つ目の開花途中。翌朝は全開でした。
→(今回ブログの冒頭に載せた、一輪咲いてる写真ね)
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例えがうまくないけど夕空に見る一番星と同じで、一つ目の花はきれいで嬉しさも格別。
何よりも、貴重な青いお花の世話を任され、二度目と三度目の開花を継続でき、
ホッと胸を撫でおろせたのが、まあ何よりの安堵感です。
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近々にまた会館の休憩室(談話室っていうんかえ?)に置かせてもらいますので、
気づいたらご覧をくださいませ。
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ちなみに今夜。5月12日時点で、ここまで成長しつつあり(嬉~)
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はい、おしまい。(今回ブログは胡蝶蘭の写真一辺倒でした、プチ反省)
>>
>>
おおっ~と、いかんいかん。
全日程の総まとめを記録せんと。今回の記事を書くのは自分の覚えのためで、それが一番の目的だっただよ~。汗。
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【1度目(青い時代)】
開花期間:20年11月~21年4月(5か月)
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【2度目(節から出た新芽の白い花)】
生長期間:21年5月~7月初(2か月)
開花期間:21年7月~9月末(3か月)
・
【3度目(根本からの新体、もちろん白い花)】
生長期間:21年10月~22年4月末(7か月)
開花期間:22年5月~ 現在進行中(さて今回、どんだけ頑張ってくれるか?)
>
>
と、以上。次からも楽しみ。
4度目も咲かせて生長・開花の月数データがどう変化するんかを確認し、
データ揃えて関数化して近似式つくってみて、開花時期の予想曲線を描けるかも?なかなか面白いよなあ。
まあホント、興味が尽きずです。育成と観察、続けて参ります。
>
>
>
はい、毎度こんにちわ。流離サラリーマンのブログです。
本格的に暖かくなりウキウキです。
が、岡山界隈、桜は散ってしまいやや寂しさも。
でもま、桜、、本当にいい、今年もたくさん見に行った。
そして歳を重ねるにつれどんどんと惹かれてしまうようになりました。
小生は岡山に単身赴任移動して以来、早や3度目の春を迎えますが、
先週までたっぷり季節の彩りを楽しみながらも、桜に関してちょこっと回想。
そして勉強もしましたよ。
先回のブログでも触れたんだけど、気になることあれば何でもネットですぐに調べられる便利さの活用です。 以下、記しときます。
桜の特徴、、みんな揃って一斉に美しく咲き誇り。
で、一週間足らずに未練なくパッと全て散ってしまう。
この特徴、一瞬の華やかさと潔さが我々日本人の心を揺さぶるんですよね。
>>>
さあ、ここでクエスチョン!
この桜の集団が周りのみんなと同時に開花、散ってしまう特徴の理由は何故だか知ってられますか?
自分は昔のうろ覚えで、まあ知ってたけども(←プチ自慢。自分、マジで性格がせこいので・・・)
その疑問への答えは後ほど説明するとして、、、
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・
・
まずは私がこれまで撮影した数々の写真からBEST3を選び紹介しますね。
(う~ん、たくさんあるなかから選ぶの難しかったわ・・)
先週行った種松山公園にて。 水島コンビナートの景色が本当に大好きなんです。
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>
津山城!
これ、自分が岡山に来てベスト・オブ・ベストの景観かも。おととしドライブした時のやつ。
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>
10年くらい前に訪れた京都 清水寺。。
(まだ満開前の4分咲き程度でしたが、。定番のカメラアングルで)
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>>>
さてさて、さておきお待たせ。
冒頭のクエスチョン、桜に関して私がわかりやすく解説します。
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桜、日本では100種くらいが自生してると云われてるそう。更に園芸用に作られた品種が200種とも。
けど、一般的な桜の代表は皆さんおなじみの。はい、ソメイヨシノですよね。
〇〇なんちゃら桜 という 沢山の種類があるなかで、
日本で見る桜の本数の総数の80%がソメイヨシノだそう、
そして紛れもない日本固有!の種である桜なのですよ(嬉)
・
・
昔々の江戸の時代。染井村(今でいう東京豊島区あたり)の植木職人、造園師たちが自生のオオシマ桜とエドヒガン桜とを交配して作り上げた品種がソメイヨシノ。
そして、この品種は、接ぎ木でないと増やせない木なのです。(← これがミソ、種子が出来ないのね)
従い、、ですよ。。いま僕らが見ることできるたくさんのソメイヨシノは染井村の職人さんが作り上げた1本の樹をもとに接ぎ木と移植を長年繰り返しながら増え続けてきた賜物なんです。
この接ぎ木で増やした数十万本、いや数百万本か。
生物学的にすべてDNA遺伝子が同一(いわゆるクローンね)がために、同じ環境のもとでは芽吹きや蕾、開花、散り、新緑など全てが同時、同一の形態変化を行うわけよん。
これがクエスチョンの答え。
(あっ、もちろん山に元々自生してる各種の桜は該当せんので誤解なきよう)
・
・
そう。俺ら「うわあ、綺麗〜!」って一言で喜んどったけど、
数えきれないたくさんの人達の手による何百年もの汗、努力、継承のおかげで、
今、目の当たりにできるんだ。って考えるとちょっと感動しませんか。
そして、これを科学的に実証、解明してくれた大学、研究所の学者さんたちにも感謝。
・
・
ネット検索で、子供相手にわかりやすく説明してる記事を見つけたので貼っときます。
暇ならご参考に。(桜と梅の花の比較、これまた勉強になりました)
桜の花は早く散るのに、梅はなぜ長く咲いているの?|読むらじる。|NHKラジオ らじる★らじる
>>>
これとは別で、花がバサッて風と雨と共に一気に散ってしまう独特のメカニズムも学びました。
が、説明が面倒くさくて難しいから割愛。
・・・・・
ところで、この時期。桜前線という表現を天気予報でもよく見ますが、
ソメイヨシノの開花の移りを桜前線と称し、例年で南九州は3月中旬~北の北海道に5月中旬だとな。
そうか、南から北へ二か月か。。
金と時間があったら、南から北へ開花移動と共に歩いてみたい衝動に駆られてきました。(足腰の強度も必要だぜ)
そんな非現実なことを考えながら、色々な桜名所をネットで閲覧。
まだ自分、実際に行ってみて見たことないとこで、いつか余生で見てみたいって思った景観で、
かつまあ、そこそこ自宅の愛知から近場で、、気になった場所をチラと載っけますね。
(無論、ネットの拾い写真です)
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奈良県、吉野山です。
ソメイヨシノでなく、野生の山桜でしょう。壮大で色とりどり。目がつぶれそうなくらい綺麗なんでしょうね。
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山梨県 新倉山浅間公園とな。
富士山、五重塔、桜 って、この3点セットは出来過ぎの反則かも。
(しかし自分、この名所をつい最近まで知らんかった。俺、名古屋生まれ育ちの小学3年で静岡県へ転校。大人になるまで隣県に住んでた筈なのに・・)
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>
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・・・・おしまいに・・・・
今回のテーマ、桜を勉強しながら(ネットだけどね)、
平安時代の歌人、在原業平の和歌が目につきました。
「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」
→ 現代語に直訳すると、(この世に桜がまったくなかったとしたら、春を迎える人の心はどんなにのどかであろうか)
更にわかりやすく自分の口調で言い換えると、→ 「桜のおかげで、春が来て みんなルンルンだでよう」 って感じか。
うん。様々な娯楽に恵まれてる現代人と違い、いにしえの平安の頃の人達って、
自然風景や季節の彩りに対する感度がより研ぎ澄まされていたのでしょうね。
はい、以上。
色々と再確認ができ、嬉しくて。つい文章書いてしまいましたとさ。
こんにちわ。
健卓の皆様とは久しくお会いできてませんが(小職の無精さゆえ、すみません・・)、いかがお過ごしでしょう?
このところコロナ禍の影響も少なからずあり、
せっせと男料理を楽しむ時間が増えました(笑)
でもま、簡単でいいかげんですわよ。ネット検索で興味惹かれるレシピ見つけたら、まずは忠実に再現して料理します。
で、食べてみて気に入れば、更に改善させるためのメモを残し(調味料の加減や加熱時間を若干変えて、好みの味付けにと)、次回リピートしてトライ。。。
しかし、ネットいいよね。色々なレシピが瞬時に膨大な数が出てきます。いやあ本当に便利な世の中になったわ・・と感心するばかりなり。
昔はオレンジページだったっけ、主婦向けの雑誌や料理本を書店で買ったりして、まあ金も手間もかかったわりに、
実にこれぞと求める題材はそう簡単に見つけれなかったかと記憶。
(あっ、オレンジページの写真見つけました。まだ現役で発売中。
かなりの長寿雑誌だね。でも、今の俺には買う必要ねえな)
さておき、自分は1960年代の生まれでして、昭和の後期から平成、令和と過ごしてるわけですが(みなさんも大概同じかな)、
ありとあらゆるものが凄いスピードで格段に進化した時代を目の当たりに見させてもらってます。
家電や車などのモノもそうだし、娯楽、サービスのようなソフト面もそう。(悲しいかな、自分。進化に付いてくのもだんだん大変で・・)
そんな数溢れるモノが発明され、進化してるなかで最たる感謝を捧げたいのは、、
月並みだけど、やはりスマホなんだよなあ。
スマホの発祥、調べてみたらばアメリカでそれっぽいのが初めて発売されたのが1995年~。
そっから諸説あるけど、日本を含め世間一般への普及と流行は i-phoneが出た2008年以降のことと捉えてよいみたい。
へえ~、まだ10年ちょいなんですね。
しかし、「近い将来、電話1台でカメラ、時計、インタネット、映像、音楽、データ通信など、あらゆる機能を備えたものを各個人が所有し、簡単に持ち歩くようになる」、
そんな大それたことを当時どんだけの人が想像できてたんだろうか?というくらい画期的な産物です。
(いや、賢い人は全部解ってて。だから世に出して財を成し遂げてるんだろね)
なんせ昔々、自分の若かりし青春の頃ってさ、ほら。
女の子と話したくて家に電話するも、まず受話器とるのお母さん(運悪けりゃ父さんが・・!)。。電話機のダイヤル回す時点で、もうロシアンルーレットばりにドキドキしたものです。
手紙書くのもそう。切手貼ってポストに投函。数日間は「そろそろ着くかな、もう読んでくれたかなあ」と気を揉み。
そいや、そもそも差出人は相手の子の友人の名前を借りて女性名で手紙を出したりと、、、。(いかん、思い出してたら頬が火照りそうデス、もうヤメヤメ)
などなど、当時は当たり前なのに、今思い起こせば、まるで古典の世界のよう奥ゆかしく淡いことをたくさんしてました。
今の子供たちからしてみれば、昔の人ってそんな面倒くさいことしてたの?と、不思議に思われたりするかも(笑)
まあ、当時の親御さん達からすれば息子、娘たちが誰と仲良いのかが手に取るようよく分かり、それはそれで良かったのかも。どうなんでしょう。
それはそうと、、さっきスマホの発祥や進化を調べながら、目に入ってきた記事を以下。
今の若者、Z世代と言われてます。(昨年の流行語大賞でもノミネートされてた言葉ですよ)
まあ、何とか世代ってのは昔からよく使われてる呼び方でして。
X世代 ← 1960/70年代の生まれの人達。ジェネレーションX とも。
Y世代 ← 80/90年代生まれの人達。ミレニアル世代とも云う
そして Z世代 ← 90年後半~2000年代の人達
これらの呼び方はアメリカで始まり、世界的にも共通して使われてるんだと。
小生は、ジェネレーションXに属するんだね。
Xとは、数学の定義で未知数の意味(じゃあ、YとZは何なのさ・・)
(先輩方たちは ・・団塊の世代?かな)
その X, Y, Zの各世代。それぞれに特徴があって面白いけど、話が長くなるから割愛し、
最大に特徴のあるZ世代を少し紹介します。
上述した私の青春思い出話とも重なりますが、、
彼らZ世代は生まれ、物心ついたときから、デジタル社会、オンラインの世界に当たり前のよう囲まれておって、
コミュニケーションや行動も、いわゆるITを駆使したものが中心。
また、彼らの指向を一言で分析すると、
「モノ(物欲)よりも、コト(サービス、楽しみ)に価値を見出す傾向があり、他者との競争よりも自己実現や社会貢献に対する欲求が強い」
とまあ、記事はこんな感じでした。
へえ~、なんと。他人との競争より社会貢献だってさ。すごくいい。
確かに今の子供たち見てると(私の息子もそう)、楽しむ感覚や対象、行動とかも。一言でいうと価値観が異なってるように思ってたが、そういうことか。うん、これは頷けるなあ。
どうだろ、これからはZ世代の活躍で社会、経済の発展や平和な世界をリードして頂くわけだけど、
彼らの目新しい発想や価値観、正義感で以てすれば、、
コロナ危機、地球温暖化など人類が直面してる共通課題を上手に克服してくれるに違いないでしょう。
と大いなる期待を抱きながら、若者や子供たちを温かい目で見守っていこう、って思ったわけです。
(ちょっと他力本願っぽいけど、やむなしだよね)
ーーー 以上 ーーー
追伸; 今回ブログ、実は自炊のネタから始まり、先日ダイソーで買って嬉しかったキッチン用品の事へ繋げようか、と書き出したのに、、。
あ~あ、どんどん話のネタと展開が変わってしまいました。
<おまけ>
昨年の流行語大賞ノミネート、下に貼っておきます。
自分、恥ずかしながら初めて聞いた言葉がいくつか散見され。(ゴン攻め??それ何よ)
今年は、もう少し真面目にいろんなものに好奇心持ってこう!
こんにちわ、流離サラリーマンブログです。(笑)
先月、緊急事態宣言明けの10月あたま、ちょこっと一人旅してきました。
記憶が冷めないうちに記しときます。
10月2日、3日の土日、一泊二日。 行先は福岡。
主目的は・・・ 小生は大のサッカー観戦マニアでして。
酔狂する我が「清水エスパルス」の応援を前々日の木曜に衝動的に思い立ち、すぐさま前売りチケット購入し福岡参戦を決めました。
試合開始は土曜13:30なので余裕で日帰りで岡山に戻れるんだけどね、、
げげっ。交通費が意外と高いぞ、
もったいないから、プチ観光も抱き合わせ一泊するのが妥当と、博多駅前のビジネスホテルに宿をとっての二日間旅行です。
では以下、旅の記録を。
【第一日】
10月2日、自宅を朝8時に出て新幹線さくらで11時頃に博多駅到着。
博多駅から路線バスで運動公園(ベスト電器スタジアム)へ直行しますよ。
・・・が、なんだか普段と違って、不思議と新幹線内でも駅構内でも同志サポーター達を全く見かけず、
サッカーの匂いがなくて少し不安。(あれっ?まさか日付を間違った?って思うくらいに)
でも博多駅バスターミナルでアビスパ福岡ユニホーム着てた若者たち見て安心。
で、「スタジアム行くには何番のバスに乗ればいいの?」って声かけたら、
じゃあ一緒に行きますか、と仲間に入れてもらいました。
皆、バスの中でもやさしく和気あいあいでありがたかったです。
到着しました。
おおっ! これは綺麗、良いスタジアムじゃん。ワクワクします。
実はこのスタジアム、福岡空港からすぐ近くなんで、
多くの同志サポ達は静岡空港から飛行機で移動してきたんだとさ(早期予約割引とかで、新幹線よりぜんぜん安価らしい)
どうりでJR博多駅にオレンジ色の人を見かけなかったのか、と納得。
福岡チアからの歓迎。
こういう素敵なおもてなし。東海、関東、関西圏でのゲームでは見たことなく、
九州や四国ならではのホスピタリティでしょう(7月の徳島遠征の時もそうだったな)
遠くから来た甲斐がありました。そしてアビスパ福岡への好感度、アゲアゲ~。
さっきのバスの連中もそう。みんなサッカーと自分のチームを愛してる仲間なんだよね。。
Jリーグ、昨年はコロナ規制で無観客試合が続き、その後の緩和で入場可になるもいろんな制限があり不自由でした。
今年は徐々に観客数を増やし、会場内で酒も飲めるようになり(←これ、超重要!)
ようやく平常の姿へ戻りつつの過程が今ある現在だな、と強く実感しました。
はい。試合を終えて(勝った~、嬉。。)、バス乗って博多駅前のホテルへ戻り、夕食へ。
もつ鍋をたらふく食って飲んで。トロトロに美味かったです。
〆のチャンポン麺で満腹になったあと、部屋に戻り早々と就寝。
>>
【第二日】
日曜朝、早起きしました。
今日、行きたいとこ、二カ所のみ。
福岡で観光するのは今回で二度目なんですが、
先回(2年半前)も行った大宰府天満宮には、また行きたくて。。
と、もう一つの二カ所目は機会あらば是非寄ってみたい、と思ってたとこ(後述します)
では以下。
まず、大宰府天満宮へ。
朝6時45分にホテル出て、電車とバスを乗り継ぎ、8時過ぎには鳥居をくぐりました。
早起きは三文の得。門下生?の若者たちが元気よく掃除してました。
私、そもそも普段から天満宮と名の付く数々の神社へは機会あればなるべく立ち寄ることにしてます。
お参りすればするほど頭が良くなり願いも叶うはず、と思いを込め(むなしい祈りかもだが・・笑)。
ここ大宰府は言わずと知れた学問の神様、菅原道真公を祀り、全国1万以上ある天満宮の総本宮。
そんなわけで自分には福岡の優先度合いNo.1訪問地なのです。
御朱印頂きました。開場直後だったので一番乗り!待ち時間なし。
おなじみ(だよね?)の飛梅。。
東風吹かば・・・の道真公の謳いと飛梅伝説。ご存じでしょうか?
小生、高校時代の古文の授業で題材に取り上げられたので、よ~く憶えてます。
道真公が京都から大宰府への左遷に発つ時・・・(まあやめとこ。もし興味あらば検索くださいね)
そして、音楽界の天才クリエータ。さだまさし氏の名曲にも飛梅。ありましたね。
↓ユーチューブを貼っときます。
この動画の景色と全く同じ道筋を自分も歩きました
(みんなの一般的な普通の順路ですが・・)
太宰府天満宮 飛梅 さだまさし - YouTube
初々しい男女のせつない別れの予感を道真公の飛梅伝説に上手くなぞらえてて、
特に曲の終盤の歌詞が圧巻です。
これぞ青春。 しかしどうすりゃこんな素晴らしい言葉が浮かんでくるのか。
さだまさしさん、本当に聡明。恐れ入ります。
それにしても昭和のフォークソング。思い返せば、みんな夢中にハマってましたね。
(LP/EPのレコード、カセットテープ・・・笑)
全盛時、自分は中学、高校生でした。
>
>
>
さて話を戻し、旅を続けます。
太宰府天満宮の参拝と散歩を9時半には終え、次の目的地に向けローカル線をのんびり移動。
そう、大宰府を発ったあとは博多と小倉をやり過ごし、着いた先は門司港駅(昔は門司駅)
橋やトンネルで繋がってなかった頃の九州の終着駅、本州から見れば九州玄関口&始発駅。
そんなかつての重要な拠点であった場所ゆえの独特の風情を味わいました。
ほらね、駅舎が見事に風格ある佇まい。と、数々の歴史感プンプンな建物たち。
(駅、大阪商船、日本郵船、三井倶楽部)
あと、こんなのも
レトロ海峡エリア。まるで外国の水の都に来たような雰囲気で、自分は懐かしさ感じます。
珍しい跳ね橋も。日に何度かの開閉デモに立ち会えましたよ。
そして関門海峡。橋の向こうは本州 山口県の下関。
かつては、連絡船やら商船。多くの海上交通が行き交う賑やかな光景だったんだろう。
盛んな頃の様子を見てみたかったなあ。。
私の母、、いにしえの当時、九州の田舎から名古屋に就職したときも、
こっから船に乗って向こうへ渡ってったはず。どんな感情を抱いてたんだろう。
故郷を離れる寂しさのあまり泣いてたのかな。いや 楽しみでルンルンしてたかもな・・
もう他界したので、訊くこと出来ないよ。。
と、感傷に浸ってたんだけど。
あとで調べたら、関門トンネルの鉄道開通が昭和20年ころのよう。
なんだあ、母は海を渡ってきたのでなく、地中をくぐっての上陸だったようでした。(笑)。
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さてさてさて、門司に来たかった一番の理由、ここでした。
旧三井倶楽部の中にあるアインシュタイン記念室。
大正11年、博士夫婦が五日間をここで寝泊まりしたんですよ。
お使いいただいた寝具、トイレ、家具など。あと当時の写真や語録など展示されております。
実は自分は昔、ちょっとしたきっかけでアインシュタイン博士に興味を持ち、
すぐに崇拝(傾倒?)し、文献やネットで色々と学んだものです。
特に彼の本職の研究成果以外での、
生い立ち、行動、数々の名言などたくさんの足跡には目を見張るばかり、まさに偉人です。
本当に人間味溢れた人物で是非いつか皆さんにも紹介、解説したいとも思ってます・・
(いや、しないだろな。ネタ的につまらんわね・・泣)
はい、次。
目を引いた風景は数々あれど・・
(自分は乗り物類のオタク人間・・・)
このJR九州本社だった廃墟ビル
とうに使われてない、ボロボロに錆びた非常階段。そそられます。
ご報告は以上。実に期待を上回る旅でした。
サッカーも楽しかったし、何より北九州の端っこにこんな情緒たっぷりなとこがあるとは。
まあ心に残る一人旅でした。
んなわけで、まだまだ色々と各地を訪ねてみなきゃな、と思いながら帰途へ着いたのでした。
お疲れさん。
・・・・ふろく・・・・
さて、ブログお借りし <節目でのご挨拶>を。
一昨日の11月1日、小生が愛知県刈谷市の本社から岡山営業所へ異動、単身赴任して以来ちょうど丸2年です。
今週から3年目の岡山生活へ突入することになりました。
健卓メンバーの皆様とはいつも親しくお付き合いいただいてるおかげで、とても楽しく充実した日々を送り続けてます。
一言、皆様への感謝を心から申し上げる次第です。
これからも健康、元気に明るく楽しみましょうね。今後も引き続きよろしくお願いします。
以上、ではまたね~~。
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